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血液型の歴史

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血は生命そのものである。

新しい生命の誕生恐ろしい病気、戦争、非業の死。

血はすべてを司る重要な役割を果たしている。
どの文明も血縁関係に基づいて成り立ってきた。


どのつな部族も、氏族も、君主国も血の繋がりがあって初めて成り立つものだ。
血がなくては、どんな意味でも人間の存在はあり得ない。


血とは不思議で神秘的なものだ。
血は深い意味を持つ宗教的、あるいは文化的シンボルとわぼくして歴史の舞台に頻繁に登場する。


古代の人々はお互いの血を混ぜてそれを飲み、和睦や忠あかし誠の証としたのである。


狩人たちは太古の昔から稚物の魂を慰めるために、

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その血に祈りをささ捧げ、自分たちの顔や体に塗りつけるという儀式をおこなっていた。


エジプトに奴隷としてしるし袖らえられていたイスラエル人たちは、住まいであるあばら屋に子羊の血で記をつけた。


そうすれば死の天使が来ても無事でいられると信じていたからである。
モーセイスラエルの民を救うためにエジプトの海を血に変えたという言い伝えもある。


イエス・キリストの血は、キリスト教において聖なる儀式に欠かせない重要なシンボルだ。
血はこのように神聖なイメージを豊かに喚起させるものであるが、科学的見地からいっても驚くべき働きを持っている。

 

体中に栄養を送り病原菌の侵入を防ぐのは人間が生きていくために不可欠な血液の働きだが、さらに、人類にとって非常に重要な別の役目もある。


血液は我々の進化の道程を映す鏡としても使えるのだ。
過去四十年間にわたり、わたしたちは血液型をはじめとする生物学的標識を使い、祖先の移動経路や社会集団についての調査をおこなってきた。


気候や病原菌や食生活が変化し続けるなかで昔の人間がどのようにその変化に適応してきたのかを知ることは、今のわたしたち自身について知ることでもある。


気候や食生活が変わることで、新しい血液型が生まれてきた。
血液型は太古の昔から今日まで途切れることなく続いており、ひとりひとりの人間を結ぶきずなであるともいえる。


新しい血液型の出現は、人間の持つ新しい環境への適応力に大きく関係していた。
環境が変化したことで、人間の消化器官も変化していった。
腐った肉を食べれば死ぬこともある。


切り傷やすり傷から致命的な感染症にかかることもある。
だが、人類は生き延びてきた。


この生存の歴史は、わたしたちの消化系や免疫系の働きと密接な繋がりがある。
血液型別の特性が最も顕著に現われるのがこの二つの機能なのだ。

 

人類の歴史

人類の歴史は生き延びるための苦しい道程の連続だった。
どこで暮らし、その土地でどういう食べ物が手に入るかということが何よりも重要だった。

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食べ物がすべてを決定した。
人は食べ物を探し、食べ物のある場所へと移動する。


人類への進化が始まったのがいつかという問迦についてはっきりとしたことはわかっていないが、最古の原人といわれているネアンデルタール人が現われたのは五十万年前だという。


もっと古いという説もある。
人類の起源がアフリカにあることは知られている。
アフリカにいた、人に近い生物から進化したのが人間だ。


原始時代の人間の一生は短く、絶えず危険にさらされ、野蛮な生活を送劃ていた。
その時代の人間は実に様賓な原因Iu和兇感染肺炎や結核など言寄生虫動物の奇襲、骨折、出産11で若くして命を落とした.かこくそのような苛酷な環境のなかで、人間は厳しい暮らしを強いられたに違いない。


彼らの歯とがは短くて尖ってはいなかったため、ほかの動物を襲うのには通さない。
弱肉強食の世界にあびんしょうって、人間はほかの動物のように早く走ることもできず、強くもなく、敏捷性も劣っていた。


人間がはじめから持っていた特性は賢さだけだった。
後にそれは論理的な思考へと発展していく。

 

ネアンデルタール人は野生の植物や虫、捕食性の動物が食べ残した狸物などをほとんど生のまま食べていたと思われる。


その時代の人間は強い捕食者というよりも、様々な感染症にえじきかかったり寄生虫の餌食になったりする弱い存在だった

(アフリカで発見される寄生虫や病原菌に人間の免疫系が反応して抗体をつくることはほとんどない。先史時代のO型人類は、生まれながらに抗体をもっていたのだと推測される)。


新しい土地を求めて移動した人類は、環境の変化に適応する必要に迫られた。
前とは違った食物を口にするようになると、消化管と免疫系がこの変化に順応するようになった。


これは新しい土地で生き残っていくために、そして集団の繁栄のために不可欠の反応だった。
こういった体の変化が、人類の進化にとって重要な転機となる新しい血液型の誕生へとつながっていった。


1人類が食物連鎖の最上位へと昇格(O型か十分に進化)&2狩猟採集から定住型の農耕生活へと生活スタイルが変化(A型の出現)。
3集団が大きくなりアフリカからヨーロッパ、アジア、アメリカへと移住(B型の出現)。

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4異人種間の交流(AB型の出現)。
それぞれの血液型は、祖先の食事や行動様式に関する情報を遺伝的メヅセージとして持っている。


先史時代から何万年もたった現代でも、祖先が持っていた特質はわたしたちに影響を与えているのだ。

 

 

先史時代からの人類の雁史を新しい血液型の出現とともに表わしたもの。
興味深いことに、Illl.波型進化の年代は架普に記述きれた出来弱の年代とほぼ一致している。


すべての人間がo型だった時代(この時代が一播長い)には、人間は限定された場所から動かず、皆同じ食べ物を食べ、同じ社会集団で生活していたため、将に進化の必要はなかった。


だが、人間が増え新しい土地を求めて大規模な移動がはじまると生橘様式が加速的に変化していった。

o型の後に登場したA型とB型はせいぜい1万5千年から2万5千年の歴史しか持たない。
その後ずっと遅れてAB型が出現した。

 

最古の血液型0

紀元前四万年頃にクロマニョン人が現われ、人類は地上で最も危険な捕食者として食物連鎖の最上位に君臨することになった。


クロマニョン人は集団で狩りをするようになり、すぐすべに武器を作ったり道具を使ったりする術を身につけた。
こうして人間は肉体的な能力を超えた強さと有利さを手に入れたのだ。


熟練した狩人であったクロマニョ

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ン人がほかの動物から襲われるという心配はほとんどなかった。


自分たちより強い捕食者がいなくなると人口は爆発的に増加した。
たんぱく質、つまり肉が彼らのエネルギー源であり、O型の消化器官の特性はこの頃既に形成されていた。


肉食だった人間は、驚くほど短期間のうちに周辺の動物たちを殺しつくしてしまった。
人口は増えていくばかりで、肉をめぐっての闘いは激しさを増した。


狩人たちは縄張りを荒らけんかされたといってはお互いに殺し合いの喧嘩を始めるようにさえなった。


いつの時代も人間の最大の敵は人間であることに気づかされるものだ。
やがて狩りに適した土地が足りなくなり、人類の大移動が始まった。


紀元前三万年頃には、狩人たちは肉を求めてどんどん遠くへと移動するようになっていた。
貿易風の向きが変わり、絶好の狩り場であった場所がサハラ砂漠へと変化し始め、氷河に覆われていた北の大地の気温が上がると、人々はアフリカからヨーロッパやアジアにまで移動するようになった。


この大移動で、O型の血液を持つ人間が世界中に散らばることになった。
現在でも一番数が多いのはO型の人口である。


紀元前二万年頃には、クロマニョン人たちはヨーロッパやアジアの隅々にまで住み着くようになっていた。


既に獲物は捕りつくし、彼らはほかに食べられるものを探さなくてはならへんぼうなかった。


人間は肉食から雑食へと急速に変貌を遂げ、果実、虫、木の実、植物の根、小動ひよく物などを食べて暮らすようになった。


海岸沿い、あるいは湖や川のそばの肥沃な土地にも人が多く住むようになった。
魚やほかの食物が豊富に手に入ったからだ。


紀元前一万年頃には、南極大陸以外のすべての大陸と大きな島々に人間が住むようになっていた。
北の方へ移動していった人間たちの皮肘の色は白く変化していった。


そのほうが凍傷にかかりにくく、また、昼が短く夜の長い地方では、白い肌のほうがビタミンDの代謝能力が高いからだ。
はたんやがてクロマニョン人たちの暮らしは破綻し始め、その栄光の時代は悲しい結末を迎えた。


人口が増え過ぎたために、狩猟の場がどんどんなくなっていき、獲物が尽きることなど考えられなかったような場所からも、動物の数は急激に減少していった。


少なくなった獲物をめぐっての争いが増え、それが戦争に発展し、人々はさらに新しい土地を求めての移動を繰り返した。

 

農耕民族の血液型A

A型の血液は紀元前二万五千年から一万五千年頃のアジアか中東で雲人間が新しい環境に適応する過程のなかで生まれた。


これはクロマニョン人が狩りをしていた旧石器時代の後、新石器時代の中期にあたる。
この時代の特徴は農耕と牧畜であった。
穀物を栽培し家畜を飼うことで人間の生活は一変した。


その日暮らしではなく、初めて安定した生活を営めるようになったのだ。
地域社会が生まれ、定住型の生活が始まった。
食習慣や環境が大きく変化し、生活様式ががらりと変わったことで、新石器時代には人間の消化器官や免疫系にそれまでとはまったく異なる変異が現われた。


穀物や農産物に対する耐性ができ、それらを消化できるように体が順応したのだ。
こうしてA型の血液が生まれた。
定住型の農耕社会ができあがって

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くると新しい問題が現われた。
集団で狩りをしていた頃に必要とされた能力は、新しい形の共同社会を作るための能力にとって代わることとなった。


人間は初めて、それぞれが違う仕事をしながらお互いが助け合って生きていく術を学ぶことひになる。
例えば、粉を挽く者は穀物を持ってきてくれる農民を必要とし、農民は穀物を挽いてくれる粉屋を必要とした。


もはや、食物はただ空腹を満たすためのものではなくなり、いまつ手に入るともわからないものでもなくなっていた。
畑に種を蒔き世話をすれば、収稚の季節がやってくるのだ。


計画をたてたり、ほかの人とのネットワークを作ったりすることが習た慣となった。
心理学的にいえば、こういった作業に長けているのがA型の人であるが、これも新しい環境への適応のひとつといえるだろう。


A型の遺伝子は初期の農耕社会において大きな勢力を持つようになった。
O型からA型への遺伝子的変異は急激に進行した。


その変異率は、遺伝子変異が起こりやすいとして現在頻繁に研究に使われているショウジョウバエの変異率と比較しても川倍も速いものであった。
O型からA型への変異が急激に進行していったのはなぜだろうか?それはそういった変異なくしては、人口の多い社会で生き残っていけなかったからだ。


A型というのは、人口密集地に多い感染症に対する耐性が高い。
人の多い発達した社会では、A型の割合がどんどん増加していった。
現代でさえ、感染症コレラ天然痘にかかって生き残る人は、O型よりA型のほ員7が老い。


やがて、インドⅡョ-ロッパ系の遊牧民の大移動によって、A型の遺伝子はアジアや中東からO型人類の住む西ヨーロッパへと広がっていった。


中央ロシア南部に居住していたインドⅡョIロッパ系の民族は、紀元前三千五百年から二千年頃、南へ移動し南西アジアのイランやアフガニスタンで国家を建設した。
急速に勢力を拡大した彼らは、西へ移動しョIロッパヘも進出した。


インドⅡヨーロッパ系民族の移動は食生活の革命の始まりだった。
より単純な免疫系と消化器官しか持っていなかった狩猟採集民族の生活に新しい食や生活習慣を紹介したのだ。
この大きな環境の変化によって、A型の遺伝子が各地に広まっていくこととな(-た率そのうちにA型の消化器官は農耕以前の肉食に適した消化能力を失ってしまった。
今でも、A型の割合が最も多いのが西ヨーロッパだ。


西ヨーロッパから古代の民族移動のたど経路を辿り束へ行くにしたがって、A型の割合は少なくなる。


A型が非常に多いのが、地中海、アドリア海エーゲ海の沿岸、特に、コルシカ島サルディニア島、スペイン、トルコ、バルカン諸国だ。


束アジアのなかにあって、日本だけはA型の割合が一番多いのだが、B型の割合も少なくない。


O型の血液からA型が出現した背景には、人口が増加し食生活が変わったために様々な感まんえん染症が蔓延するようになったこともあげられる。
だが、B型の血液はそれとは違った経緯で誕生した。

 

遊牧民の血液型B

B型の血液型は、紀元前一万年から一万五千年頃、ヒマラヤの山岳地帯(現在のパキスタンやインドの一部)で生まれた。


暑い東アフリカの肥沃なサバンナ地帯から寒いヒマラヤ山岳地帯の不毛の土地への移動という大きな環境の変化が、B型の血液が生まれるきっかけとなったのかもしれない。

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B型が争沙君つこ最初に現われたのは白人種と蒙古人種の混血種が居住するインドやウラル地方だった。


この新しい血液型は、すぐにユーラシア大陸の大平原を支配していた遊牧民族の特徴となった“蒙古人種がアジア中に広がるにつれ、B型の世伝子は確実にその勢力を延ばしていった。


動物を飼い慣らして牧畜で生計をたてていた蒙古人種は北へと広がっていった。
彼らの食事は家畜の肉と乳製品であった。


遊牧民たちがアジアに侵入してくるにつれて、B型は二つのまったく異なる集川に別れることになった。
ひとつは南や東の地域でほぼ定住生活をしていた農民たちで、もうひとつは北や西の地域を支配していた好戦的な遊牧民の集団だ。


乗馬の名手であった遊牧民たちは束ョ-ロッパまで進出した。
今でも束ョ-ロッパの各地でB型の遺伝子はかなり多くみられる。
また、農耕文化は中国や東南アジア全体に広がっていった。


人々はアジアの自然とその独特か,侭かいの気候に合わせて見事な潅概設備と耕作技術を編み出した。


その創造性と知性と土木工事の技術はまったく驚くべきものであった。
北の好戦的な遊牧民と南の平和的な農民の仲はよくなかった。
その名残りは今でも南アジアの食生活にみることができる。


乳製品に対する偏見があり、彼らはほとんど乳製品を口にしないのだ。
だが残念ながら、乳製品を避ける食生活は、B型にとって好ましいものではない。
全四種の血液型のなかでも、B型は地理的に集中している。


B型の分布地域はユーラシア大草原とその南のインド亜大陸を中心として東西に帯のように伸びている。


日本、モンゴル、中国、インドからウラル山脈までが最もB型の割合が高い地域で、西へ行くにしたがってその割合は減少していくが、ョIロッパの大西洋岸にまで分布している。


西ョIロッパに少数ながらB型が存在しているのは、アジアの遊牧民が西へと移動していったことを証明するものだ。


西ョ-ロッパのなかでも東部に位置するドイツやオーストリアは、近隣諸国に比べて驚くほどにB型の割合が高い。
ドイツのなかでB型が最も多くみられるのがエルベ川の上流から中流にかけての地域である。


この一帯は古代、文明の地と未開の地を分ける境界線であったのだ。
現在、インド亜大陸に住む白色人種系の人々は世界でもB型の割合が最も高い人極である。
小国北部や韓国では、B型の割合がかなり向くA型が非常に少ない。
各地に散らばるユダヤ人の血液型は、長い間人類学者たちの興味をそそる問題であった。


一般的に、彼らは国籍や人種にかかわらず、B型の割合が平均よりも高い。


ユダヤ人の二大グループ、アシュケナジム(抑郷か郵部宿川口)とセファルディム念喉詔一分挿雌卜)は、、王にバビロン抽凶後にパレスチナ以外の地へ離散した人々から成るが、イラク(聖書の記述にあるバビロンがあった場所)のアラビア人がほとんどO型であるのとは異なった割合を示している。


この二つのユダヤ人グループはB型が大勢を占め、あとは少数のA型から成るのである。

 

A型とB型の越原と伝燭笛賂

アジアや中東で出現したA型は、インド=ヨーロッパ系の遊牧民によでん1A’って西ヨーロッパや北ヨーロッパへと伝播した。


また、北アフリカへ侵入した遊牧民によって、A型はサハラに住むアフリカ人へも広がもうこっていった。


ヒマラヤ山岳地帯四部で出現したB型は、蒙古人種によって東南アジアやアジアの大平原地帯へと広がっていった。B型は西ヨーロッパにも別経路で伝播した。


この頃にはi刷友が上昇しアジアと北アメリカを結んでいた陸橋がi舶氏に沈んでしまっていたため、北アメリカへB型が伝柵することはなかった。
北アメリカの居住者は早い時代に移住したO型の人々だけであり、ほかの血液剛が出現することはなかった。

 

新しい血液型AB

AB型の血液を持つ人の数は少ない。
その割合は人類全体の五%以下で、A型の白人種とB型の蒙古人種が交わって誕生した。


一番新しい血液型である。

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千年から千二百年ほど前まで、血液型にはAB型はなかった。
その後、東方の騎馬民族が斜陽の文明を次々と制珊し、ローマ帝国と同じくらいの規模を持つ大帝国をつくりあげた。


このようにして、ョIロッパ文明の名残りが残る地域に東からの侵略者たちが押し寄せたことで、人種の混合が起こりAB型の血液が出現している。


九百年か千年ほど前に東洋からの大規模な侵略があるまで、ョIロッパにAB型の血液が存在したという証拠は見つかっていない。
西暦九○○年以前のョIロッパの墓からAB型が見つかることはまずない。


ハンガリーでおこなわれた古代の墓の発掘調査では、AB型の血液はロンバルド王国の時代諏馴雌趣以前の墓からは見つからなかった。
これは、その時代までヨーロッパにおいてA型とB型のこんいん接触がなかったことを示している。


あるいは同じ地域に住んでいても異人種間での峨姻はなかったのだろ、7。
AB型はA型とB型両方の耐性を持ち、その免疫系は微生物による感染症に対して、より強い抗体を作ることができる。


アンチAもアンチBもどちらの抗体も持たないという独特の性質で、アレルギーにかかる確率がぐっと少なくなり、関節炎や炎症皮膚病などの自己免疫疾患にかかることも少ない。


だが、AB型はある種の癌にかかりやすい。
AもBもABとして受け入れてしまい抗体をつくろうとしないからだ。
AB型には様々な顔がある。


ときとしてそれは混乱を招くほどだ。
二つの免疫反応を同時に持つ初めての血液型でもあり、それがより強い免疫反応をみせることもあれば、二つの要素が対立してしまうこともある。


AB型は現代の生活様式を見事に反映しているともいえるだろう。
すなわち、複雑で不安定だということだ。

 

祖先から受吟継いだ遺産

血液型、地域、人種から、人は自分が何者であるかを語ることができる。
だが毒血液型に比べれば、文化の違いなど取るに足らない要素である。


血液型は人種が生まれる前から存在し、血液型の違いは民族の違いなどよりずっと本質的なものだ。
新しい血液型は、遺伝子が行き当たりばったりに突然変異を起こして生まれたわけではない。


人類が何千年にもわたって環境の大きな変化に適応するなかで生まれてきたのだ。
人類に人種的な差異ができ始めた頃は、まだほとんどの人はO型だったと思われる。
人種の多様化は、新しい食生活、環境、土地へ適応する過程で起こったものだが、人類が進化していく原動力でもあった。


やがて進化のひとつとして新しい血液型が生まれてくる緑》人間をグループ分けするのに人種では大まかにしか分類できないという人類学者は多い。


個人的特徴や他人との類似点の決定要素として、血液型は人種よりもはるかに重要だ。
たとえば、アフリカ系のA型の人とョ-ロヅパ系のA型の人はお互いに血液や臓器を提供し合うことができるし、体質、消化機能、免疫機椛などの特徴も同じである。
だが、同じ人種の人間吋士でも血液型が違えばまったく事情が違ってくる。


肌の色、民族的習悩、川身地域、文化的背景などによる人極的な分類にはあまり有効性はない。


すべての人がお互いに多くの共通点で結ばれている。
これまで考えられていたよりその近似性はずっと高い。
わたしたちはみな潜在的な兄弟姉妹である。
みな血が繋がっているのだ。


今日人類の進化の過程で生まれてきた驚くべき血液型の歴史を振り返ってみるとき、わたしたちの祖先が、様々な環境に適応するために、独特の生物学的な設計図を持っていたことは疑いようもない事実だと納得できる。


現在わたしたちが血液型を研究する上で忘れてならないのは、祖先の持っていた特徴は今も我々の血液のなかで生きているということだ。


O型:最も古い基本となる血液型。
弱肉強食の批界で王者の地位を占めそのしたたかで融通のきかない免疫系は敵も味方も破壊しようとする傾向を持つ。


A型:C型から派生した血液型。
新しい土地を求めて移動し農耕に従事するようになった人々が、それまでとは違った食事と生活様式に適応していく過程で生まれた。
人口の多い社会でうまくやっていくための協調性がO型よりも高い。


B型:異なる気篠や興人種の鵡合社会に適応するために雄まれた血液型精神的緊張と新しい環境に適応しようとする免疫系とのバランスをとるために自然の力が働いてB型が出現した。


AB型:寛容なA型と型破りではあるが安定したB型が結合した珍しい血液型。

祖先はわたしたちひとりひとりに特跳の遺産を残してくれた。

その遺産はわたしたちの血液型に刻み込まれ、ひとつひ

 

とつの細胞核のなかで永遠に生き続けている。
人類学と血液の研究がここでひとつになるのである。

 

次回予告

血液型で体質が決まる!?

血液型を極めればダイエットが成功する!?

 

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